原爆投下責任の議論「棚上げ」答弁への公開質問状

原爆投下責任の議論「棚上げ」答弁への公開質問状

広島市は9月21日と22日の市議会本会議で、平和公園と米国のパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定に関して、原爆投下責任の議論を「棚上げ」して「和解の精神」で「未来志向の取り組み」をすると、村上慎一郎市民局長が答弁しました。私たちは、この答弁に不安と疑念を感じます。世界で核戦争の危機が迫っている今こそ、原爆投下の非人道性と投下責任を、声を大にして問わなければならないと考えるからです。広島市の姿勢が、プーチン・ロシアによる核兵器使用を容認することにもなりかねないと危惧します。このような重大答弁が松井一実市長ではなく、市民局長からされたことにも驚きと失望を感じます。

ただ、この答弁は私たちには理解しにくいところが多くあります。まずは、広島市側の考えを確認したいと思いますので、以下の質問にお答えください。

1.姉妹公園の交渉のなかで、広島市側は原爆投下責任の議論を「棚上げ」することを米国側と確認したのですか。逆に、米国側は真珠湾攻撃の責任議論を「棚上げ」することを明言したのですか。交渉において「棚上げ」とは、問題を保留することを双方が合意することですが、そういう合意はされたのですか。真珠湾攻撃と原爆投下という20世紀の重大事件について、そのような合意がされたのなら、人類史のエポックとして記録されることと思いますが、私たちは現段階で知り得ていません。また、このような重大な決断をするにあたり、松井市長は被爆者や市民の声をいつ、どのように聞かれましたか。

2.原爆投下責任の議論は広島市の言うところの「和解」の妨げになりますか。双方が真剣に話し合ってこそ、「和解」ができるのではないですか。当然、日本の真珠湾攻撃やアジア諸国への加害責任についても同じことだと私たちは考えますが、松井市長の見解をお聞きします。

3.「現時点では棚上げする」としていますが、いつになったら原爆投下の責任を問うのですか、あるいは原爆投下の責任に関する議論をするのですか。

4.ウクライナの戦争が長びく中、世界は核戦争の危機にさらされています。原爆投下責任の議論を棚上げするという広島市の姿勢は、プーチン・ロシアによる核兵器使用を容認することにはなりませんか。「現在の世界情勢を考慮するならば、今こそ和解の精神を重視した対応を逃してはならないと判断し、姉妹公園協定を締結した」と答弁していますが、広島市は世界情勢をどう分析していますか。

5.答弁では「広島ビジョンの中で安全保障政策に言及し、核の抑止力を肯定する記述はありますが、それは核抑止論が既に破綻していることを明示するものであり和解の精神に何ら関係するものではないと考えております」としていますが、なぜ広島ビジョンの記述が核抑止論の破綻を明示するのでしょうか。私たちは、広島ビジョンは核抑止論を肯定し核兵器廃絶を究極の目標に追いやるものと危惧し、市長にも伝えました。8月6日の平和宣言では、核抑止論を否定する広島市の姿勢が貫かれたと私たちは評価しましたが、今回の答弁はそれと矛盾しませんか。

以上の質問は、私たちが入手した以下の答弁記録に基づいていますので、確認してください。

9月21日、中村孝江議員への答弁

和解の精神とは、あくまで現時点では責任に係る議論は双方で棚上げにし、二度と戦争の惨禍を繰り返すべきではないという考え方を確認し、未来志向に立って対処していこうというものです。従いまして、この姉妹公園協定は、原爆投下に関わる米国の責任に係る議論を現時点では棚上げにしますが、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会における機運の醸成を図っていくために締結したものです。なお、広島ビジョンの中で安全保障政策に言及し、核の抑止力を肯定する記述はありますが、それは核抑止論が既に破綻していることを明示するものであり和解の精神に何ら関係するものではないと考えております。

9月22日 門田佳子議員の質問への答弁

昨日の本会議で私の答弁の中で「棚上げ」と申しましたのは和解の精神を説明するために用いたもので、さらに姉妹公園協定が、アメリカ国家の責任を不問・免罪にするためのものではないということを理解してもらうために用いたものです。

すなわち、「棚上げ」という言葉は、一般的には問題の解決処理そのものを放棄するというものではなく、あくまで事情に応じて、一時的に保留すると、そういうものだと思います。今回の締結の判断につきましては、米国の原爆投下の責任に係る議論があるということは踏まえつつ、現下の国際情勢、これを考慮するならば、その解決を待つのではなく、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという機運を市民社会に醸成するための未来志向に立った対応を逃がさないようにすることこそが急がれると考え、こんな思いを他の誰にもさせてはならないと世界に訴えてきた被爆者の寛容と和解の精神に沿うものであると考えたからでございます。

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